New Face▶徳七窯と秘窯・大川内山のご紹介

新しく取り扱いを始めた「徳七窯」をご紹介します。

徳七窯(徳永製陶所)さんは伊万里の秘窯・大川内山にて創業なさった由緒正しき窯元です。
江戸幕府への献上物として発達した鍋島焼の産地で知られる伊万里の大川内山。
その製品の「確かさ」は、隣町の有田で作られる有田焼以上のものがあります。

徳七窯さんのうつわは、ほんわかしていて馴染みやすい雰囲気を持ちながら、
よく見ると、しっかりとした素地に、しっかりとした印象の絵付けをなさっていることがわかります。
それは、伊万里焼というしっかりとした背景があるからかもしれません。

可愛らしい色合いの瓢(ひさご)の飯茶碗とお湯のみ。



そもそも大川内山がなぜ秘窯と呼ばれるようになったのかというと…

先に申し上げましたとおり、伊万里の大川内山では江戸幕府への献上物として「鍋島焼」を作っていました。
お殿様へ献上するものですから、間違いがあってはなりません。
一般的に、鍋島焼は絵付けが枠をはみ出すことは無いと言われています。
もちろん、絵付けのラフさというものが「粋」とみなされることはあります。
しかし、鍋島焼においては、そういうルールは無いのです。

この流れは、江戸時代に伊万里で生まれた鄭成功という人物が滅びゆく明の時代の景徳鎮から陶工を連れてきて伊万里で焼き物を始めたことに所以するのかな思います。
中国の景徳鎮は世界的な焼き物の産地。しかも国が運営する官窯です。
中国という国は完璧なものが素晴らしいとされていました。ピシッとした白磁の素地に、これまたピシッとした絵付けを施して完品とみなします。
窯の中で釉薬や温度の具合で突然変異(=曜変)した器は「不吉」とみなされ、破棄されました。
この「不吉」な器は「侘び寂びを解する茶人」によって日本に持ち込まれ、国宝となりました。

…さて、このあたりの話をしだすと長くなってしまいます。
実は私の祖父は伊万里生まれの伊万里育ち。伊万里市役所の役人を経て今では作陶をしながら焼物の歴史を研究しております。
祖母はまさに秘窯・大川内山の観光ガイドのボランティアをしております関係で、聞きかじった話が長くなってしまうのです。

徳七窯さんすみませんでした…!

2017年3月15日 楽陶